藝道日記。(平成 12/03/02)
平成十二年三月二日

 あら奥さんきょういいハツ入ってんのよ、と、肉屋のおっちゃんが吐いた言葉がそう言うような意味に聞こえました。しかし、それはきっと私の空耳だと言うことがすぐに判明しました。おっちゃんは浴衣を着て朝の市場に現れた私を珍しそうに見てはいますが、何か話しかけたという様子ではありません。

 ふとみるとおっちゃんと私の間に、鋭利なフックにかけられた新鮮な心臓がありました。おっちゃんが肉を売っている区画では豚肉しか売ってないので、間違いなくこれは豚の心臓でしょう。気がつくと私の中の何かが幽体離脱して、私の背中を押したらしく、私は自分でも意識しないまま、おっちゃんこれいくら? と聞いていたのでした。

二十バーツポッキリ。
朝から心躍るお買い物。


とりあえず記念撮影。

 おっちゃんは即座にフックから綺麗な光沢を放っている心臓を取り上げて秤にのせ、目盛りを見つめながら、二〇バーツ、とおっしゃいます。二〇バーツと言えばこの国において実にインスタントラーメン四袋分、ちょっといい米一キロ分です。私はおそらく前日の夕方まで豚の全身に休むことなく血液を送り出していたその尊い心臓を見つめながら半ば無意識のうちに二〇バーツ札をおっちゃんに差し出していました。

もちろん自分で撮影。



ぎゅっ、ってしてみた。

 とりあえず心臓をビニール袋に入れて貰い、私はおうちに帰りました。すぐにまな板の上に広げるとそれはまるで映画、インディージョーンズ魔宮の伝説や、心霊治療用の小道具みたいです。見るからに心臓そのものでそれ以外の何ものでもありません。

 まだ何を作るか決まらないまま、大動脈から縦に包丁を入れてみますと、昔生物で学んだ右心室左心室右心房左心房がはっきり仕切られているのが見えました。
 


右心室左心室右心房左心房。


並べて見てみるとキャベツと
心臓はよく似てます。

 私はそのわかりやすい本物の心臓を見つめながら、どうして日本の理科教育というのは、こういう風に実際に動物の心臓を使ったりしないのか、と思いました。こういう風にすれば明確にわかりやすいし、理科の次を家庭科の時間にすれば一切無駄はありません。

 あまり深く考えないまま切り開いてゆき、厚みがある部分は塩をふって七輪の上に敷いた網に乗せ、炭火で焼きました。細切れになった部分は砂糖とナムプラーを入れ、キャベツと一緒に炒めることにしました。ちょうど生姜が余っていたのでそれも刻んで入れました。



 

切り分けてみました。

これが不随意筋と
いうものかもしれません。

塩焼き用。

炒め物の材料。

ラッキーナムプラー。

お砂糖。


 

焼き始め。



 
 

 焼きあがったものは見事に日本の串焼き屋で食うハツそのものの味でした。生姜炒めもまずまずの味でした。おなか一杯になったので、その後しばらく横になって本を読んでいたら眠ってしまいました。
 


焼き終わり。


 

 心臓ひとつでここまで幸せになれるとは思ってもいませんでしたが、一人で食いきるにはちょっと苦しい量なので、今後お客様が来るとき以外に買うことはないでしょう。私はあらためて、豚というのは有り難いものだなあと思いました。

おわり。
 


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