藝道日記。(平成 11/04/09)


注・通貨の日本円換算はすべて1バーツ3円、1ドル3800リエル、1ドル35バーツ、1バーツ110リエルと言うのを基準にして下さい。正確ではないですが、最近はだいたいこんなモンです。
 

平成11年4月9日
 

 朝8時前に家を出る。朝の私はとても気まぐれなので、当然、何事もなく道草もせずに目的のカンボディア大使館に行けるはずがないだろうとは思ったが案の定、アパートメント前の屋台に捕まり、モツ入りのトムヤムスープを飯にぶっかけて食ってしまう。15バーツ(約45円)。

 食い終わってバスを二回乗り継いで7バーツ(約21円)も払いカンボディア大使館へ。申請しそこねた昨日、9時に来い、と言われていたので9時に来たのだがもう既に大使館内は人でいっぱい。そしてそこにいたのはタイ正月ソンクラーン連休前の今日にせめて自分ひとりだけでもビザを即日発給して貰おうと思っている不埒なヤツばかりで妙に不思議な雰囲気を持つメンツが集まっていた。

 まず私の前にあらわれたのは申請用紙の記入方法を丁寧に他人に教えたがる日本人のオヤジ。このオヤジは久しぶりに公的書類に記入する、という儀式に挑む私の荘厳な心構えをいきなりむちゃくちゃにしてくれました。個人的な都合で申し訳ありませんが、私はたまにしか旅行者になれないのですから、旅行者気分に浸りたいときは浸らせておいていただきたい。

 次に話しかけてきたのはオランダ人のオヤジ。元ペインターで絵を描いてたらしいが、もう引退してタイに住んでいるらしい。藝の道に生きるものに引退というのはあまり考えられないから、ペインターというのはただのペンキ屋なのかもしれない。鼻の頭に浮き出た赤い血管が印象的だった。

 後はロシア人のおばちゃん。並んでいるといかにも親日的に、エトロフクナシリだけじゃなくてよかったらサハリンまで返してもいいのよ、持ってって、といった感じの笑顔にだまされてつい話に乗ってしまったが笑顔がとてもかわいい。あたしねぇ、サンクトペテルブルグから来たのよあなた知ってる? などと話を振られてしまい、いつもなら知らない、と冷たくあしらうところだが、かわいいのでつい、うんドストエフスキーの本で何度も読んだよ、などと笑顔を返しながら話を合わせてしまった。ときどき、こんな自分がひどく嫌な生き物に思えるときがある。

 おそらくは五十歳は過ぎているであろうその元白系ロシア娘は息子や歳の離れた弟にしては肌の色や髪の毛の色もちょっと違う顔面髭だらけの、ブルースリーの映画に出ていたときのチャック・ノリスみたいな男と一緒にいたのだが、どうやらパスポートのコピーを忘れたらしく、ねえねえコピーって、どこでとれるの? と周りの人間誰彼なく聞いていたので、昨日そごうでコピーを取ってきた、と教えてやると隣にいた黒髭ノリスに自分のパスポートを預け、相も変わらぬ笑顔をたたえたまま冷静にコピー取りの任務を黒髭ノリスに命じた。がってんだ、とばかりに素直に建物から出ていった黒髭ノリスの薄いポロシャツから透けて見える黒々とした胸毛はしばらく私の脳裏に焼き付いたままだった。視線を元白系ロシア娘に戻して私は、年を取ったらこんな風に笑顔で他人をパシらせる事ができる素敵な大人になろうと思った。

 申請も終わり、建物を出て私は15番のバスに乗り、カオサン通り近くチャナソンクラーム寺横のテラスゲストハウスに向かう。ここには奥野正雄氏が設置した日本語の情報ノートがあるため、シュムリアップについての情報を少し仕入れておこうと思ったのだ。が、しかし行ったはいいものの、そこにあるパソコンでゲームなどをしてしまう。

 最近、自分の意思と行動にますます不整合性を感じることが多く、かなり頭が悪くなってきたように思える。

 何時間かそこで過ごし、ピンボールのハイスコアに自分の名前を三つほど叩き込んだのち、長期旅行者仮名氏とレックさんの店で食事する。日本料理、と言うかラーメン屋である。酢豚、カツ丼、餃子、ぞうさんビールを注文する。仮名氏は醤油ラーメンと野菜炒めを注文。食事をしながら貧乏旅行作家のB氏(仮名)の悪口になる。最近、そのB氏(仮名)の嫌がらせに近いメールや横柄な態度にほとんどキレている私は、やっぱりあのB(仮名)殺した方がいいですかね、と話を振るが、仮名氏は、まあ、それもいいかもしれないなあ、といった感じの笑顔を浮かべるだけである。

 長期旅行者の中にはたまに話を聞いているだけでこんな風に人の怒りを吸い込むような雰囲気を発する人がいる。私にとってはとてもありがたいことである。

 前回は私がごちそうになったので、今回は私が奢り返す。230バーツ(約690円)。ヘタすると私の三日分くらいの生活費に相当するが、気持ちいい方との食事は多少高くても許せる。

 その後、ジッティジムへ行き、十二日と十四日に試合するアタル・ジッティジム選手とマミ・ジッティジム選手に、頑張ってね、試合、ぼく、今からカンボディアに行って来るから、と激励し、一応報告のためにDIOゲストハウスに行くと、顔見知りの日本人学生2名、一休様(仮名♂)とひー様(仮名♀)がいる、なぜか二人とも暇らしくカンボディア大使館までついてきてくれることになる。

 ここ何年か自分と同世代の日本人には可愛がってもらえないのだが、はるか年下の大学生あたりにはすごく可愛がってもらえる。頭がバカになってゆくとともに幼児化が進んでいるのだろうと思う。彼らはおそらく私のことを同世代だと思っているのだろう。すっかりお子さま扱いである。そしてその扱いが妙にここちよかったりするから私もタチが悪い。

 バスを乗り継いで、来い、と言われた夕方五時に数十分ほど遅れはしたが、無事に大使館に着きはした。が、しかし受取窓口は午前中に申請に来ていたのと同じ人間たちでごった返していた。人の身体の隙間から窓口を見ると係官がていねいにそれぞれ色の違ったパスポートにスタンプを押している最中だった。まだ作業が終わっていないらしい。

 結局、1時間ほど待たされてようやくパスポートを受領し、待っててくれた一休様(仮名♂)、ひー様(仮名♀)に悪いと思ったので、思いっきりすまなさそうな顔を作って大使館の入口に向かうと、二人は別に怒っている様子もなく楽しそうに入口の警備員様とたわむれていた。とても寛大なお二人だと思う。警備員様はたいそうひー様(仮名♀)がお気に入りのようだ。どうやらひー様(仮名♀)のへそ出しスタイルが、いたいけな警備員様のリビドーを刺激したようである。日本女性は世界のブランド、ちやほやされるのはとてもいいことだと思う。

 その後、ワールドトレードセンター前のBig−Cでひー様(仮名♀)の買い物を手伝い、そのご一緒に、こんな目に遭わされたのは初めてタイに来た十年前から一度だってなかった、と言うくらい量も味もクソたわけなカオマンガイを(鶏肉脂飯)30バーツ(約90円)を食い、二人に運河ボートを使ってカオサンまで戻る方法を教えて別れる。


 
 

見るからにクソたわけなカオマンガイ

何が入っているのかとてもわかりやすい箱を持つ、
一休様(仮名♂写真左)と、ひー様(仮名♀写真右)

 
 

夜のバンコクを走るバス。
 別れて乗ったバスがものの見事に方向が違ってて、あわや自分のアパートに戻りそうになってしまい、慌てて降りて正しい方向へのバスを待っている途中、あまりに自分か二人に教えた運河ボートの乗り方がぞんざいな教え方だったことに気づき、あの二人無事にカオサンまで戻れるだろうか、と少しだけ思うがよくよく考えてみれば、自分が今ちゃんと正しい方向のバスに乗れていないことに気づいて、人の心配などしている場合などではないと思い、心配するのをやめる。

 
 戦勝記念塔でさらに乗り換え、ちゃんとバスターミナルに着く(バス代全部で10.5バーツ=約32円)が、時間は既に午後九時近く。おそらくもうバスはないだろう、とは思うが一応行ってみる。しかしやはりアランヤプラテート行きのバスは十八時台にすべて終わっていた。

 始発は午前四時とのことでまだ七時間もあり、一瞬、アパートメントに戻って出直そうかと思うが新築されたらしい近代的なモーチット北バスターミナルはことのほか居心地が良かったので、リオ・ビールとサンドイッチ、月餅を買い(全部で85バーツ=約255円)、朝までここにいることにする。


 

外から見たモーチット北バスターミナル
近代的。

中から見たモーチット北バスターミナル
快適。

どこが切れ目なのかはっきりしないサンドウィッチ。

なぜこんなものを買ったのだろう。
今日一番の無駄遣い、月餅。

今日の費用=約1133円。

平成11年4月10日に続く。


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