他の人はどうか知りませんが、そんな風に人との関わりに関する記憶が欠落している恩知らず天然アルツの私に人生の貴重な時間の大部分を費やしていただいた親には感謝すべきだとこのとき私は改めて思いました。
まだ寝ぼけた頭で、子供を抱いた彼女に、どこまでなの? と聞きます。地名は聞き覚えのないものでした。カオヤイの近く、と言葉を繋げたところでだいたいの位置関係がわかりました。私はまだ鈍く働く頭で、少し視線と意識を幽体離脱させて、自分と彼女、そして彼女に抱かれている子供が他の人から見てにどう見えるか考えてみました。
どう考えても私たちのこの状況は私が父親で彼女が母親、そしてこの子どもが私たちの子供に見えるでしょう。私は鈍い頭を無理に元に戻そうとせず。自分が彼女と結婚して、この子の本当の父親であるという妄想を抱きました。
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そう思ってみると凄くこの状況がいとおしいものに感じられてきます。私は何日か前にこの子にトラウマアタックをかけたことなどすっかり忘れています。すっかり父親のつもりなのです。
私の妄想が、これから家族三人でカオヤイの近くの町にある家に戻り、食事の用意を始めた彼女をよそに子供に水浴びをさせているところで、バスは本当にカオヤイの近くに着いたらしく、彼女とその子供はバスから降りていきました。
その後ろ姿を見ているとなんだか私は誰と家庭を持っても上手くやって行けるという、妙な自信のようなものが湧いて参りましたが、半年ほど前に結婚前提のお付き合いがひとつ壊れたことを思い起こして、その自信のようなものはすぐに、窓から見える子供を抱いた彼女の姿のように遠くなってゆくのでした。
〈了〉
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