藝道日記。(平成 12/05/14)
平成十二年五月十四日(日)。


 一時頃犬から電話あり。昨日動きすぎたのか爆睡しまくっていたので電話しながらも身体はどうにかして眠ろうとしている。お茶飲んで水浴び。せっかくなのでメール書きメルマガづくり。身体は寝ようとしてるので何書いているのかわけが分からない。このときに書いたメールを貰った人は可哀想だと思う。

 再び水浴びして読書、しかし、すぐ金縛り状態に近い睡眠に陥っては覚醒の繰り返し。
 結局意を決して午前六時に覚醒。七時半までかかってページ作成送信配信更新。

 七時四十五分にお買い物へ。豚挽肉五バーツ分、豆腐、ちっちゃい茄子四個買う。全部で十五バーツ。しかしその後卵屋の脇の八百屋でちっちゃい茄子が三個一バーツで売られているのを見て失敗したと思う。
 


 
 


麻婆セット。



 麻婆丼。
 戻って先日泰国自炊同志の方からいただいた丸美屋の麻婆豆腐の素を使い、麻婆豆腐を作る。一袋三人前なので三分の一入れる。五バーツだとは思えないほど豚肉の量が多い。さすが豚肉屋のおばちゃん、私を友達扱いしてくれるだけのことはある。

 バルコニーで水浴びしてお裁縫。十時から手紙書く。

 



 途中十二時これもまたいただいた干し貝柱と玉子で、スープを作る胡瓜玉葱も入れる。さらに胡瓜玉葱のチャーハンを作る。デジカメ電池切れの為、作った物を撮影できず。十四時頃電話あり。その後やっと手紙書き終わる。

 十四時半に出て、チャリ港に置いてバスに乗る。爆睡。着いて降りる。ナットレストランで水を注文して待つ。そのうちにひろみきん様とおともだちいらっしゃる。去年十二月の歌舞伎町以来である。

 差し入れの下ろし金、味噌などをいただき象ビールをご馳走になり仕事中のレック様と一緒にお話しする。
 


 やがて某ゲストハウスに行くとこないだ酔っぱらってさんざん愚痴たれてた。某サイヴァーカフェネットワーク管理者につかまって、これからどこに行くんだ? と訊かれるので、蟹カレー食いにと答える。

 一緒に行っていいか、と訊くのでひろみきん様に聞くと、いいよ、とおっしゃるのでそう伝える。店の名前を知らないのでだいたいの場所を教えると管理者は、じゃあカフェ締めてから行く、と言う。

 雨の中タクシーで店に着き、蟹カレーパクブンファイデーン玉子豆腐スープ卵焼き注文する。ひろみきん様とお友達の二人は美味そうに食うが、私はなぜかあまり食わない。すぐに某サイヴァーカフェ管理者が現れて飯も食わずに別れた日本人女性の愚痴になる。
 


 二人は満腹になったようなので私はビールを飲みながら誰も食わなくなった残りの料理を黙々と片付けつつ、興味津々の二人に管理者の愚痴を通訳する。胃壁が伸ばされてゆき胃にものすごい量の血が集まりはじめ頭がうまく働かない。そのうち管理者の携帯にその別れた女から電話がある。しかしすぐに話は終わったようだった。

 電話が終わって溜息をつきながら管理者が、日本語で、どうして嘘を付くのですか? と言うのはどういうんだ? と私に訊く。私は血流不足の回らない頭のままその日本語を紙に泰文字で、どうしてうそをつくのですか、と書いて渡す。

それを書いて渡すと、こともあろうに管理者はその場ですぐその捨てられた日本人の女に携帯で電話をかけ、たどたどしい発音のまま、どうしてうそをつくのですか、と、何度も繰り返して言うが、発音の訓練が完全ではなかったせいか、全然通じていないようだった。
 


 私はその痛く重苦しいテーブルの雰囲気と、胃に集中した血液のせいで頭がまとまらずどうしていいかわからなかったので、とりあえずお勘定のために店の人を呼び、この場を切り上げることにする。お勘定はひろみきん様が全部払っていただいた。とても有り難いことである。どうもごちそうさまでした。

 ひろみきん様が宿泊するホテル迄二人を送って行くと、ひろみきん様に、お湯のお風呂なんかしばらく浸かってないでしょう、と言われる。その通りである。お湯どころかうちにはバスタブさえない。良かったら入っていって、と言う天使のようなお言葉に甘え、バスタブとお湯を使わせていただくことになるが、相変わらず胃が重くて苦しい。苦しいのでゆっくりバスタブに浸かる。

 結局浴び終わったのは二十二時過ぎ。ビールまでご馳走になってホテルをあとにする。ホテルからエアコンバス二台を乗り継いで地元へ。午前零時を過ぎていたが、今日もチャリは盗まれてなく、ちゃんと川そばで私を待っていた。部屋に戻ってメール書く。書き終わって送信。寝る。

 

平成十二年五月十三日に戻る。平成十二年五月十五日に続く。
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