平成十一年四月十一日
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午前八時頃目が覚める。下のレストランに降りてパン三〇〇リエルとミルクティー五〇〇リエルを注文する。
カンボディアのパンは当然フランス式で、どんな小さなものであってもそこにそれがあるだけでかなりゴージャスな気分になれる。いわゆるフランス式のパンというものは何故に生地が柔らかい日本とかタイのインダストリアルなパンに比べてこんなにゴージャスな気分を味わえるのだろう、と考えてみて、私が小市民ゆえに、本場もの、とか本場直伝、とか、元祖、とか本家、とかいう謳い文句にめっぽう弱いからかもしれないと少しだけ自省し、俺ってヤな奴、と少しばかり落ち込むが、よくよく考えてみれば普段あまり食べることがないので、単に私の舌が物珍しがるからだ、と言う新たな結論に達して気を取り直す。 ぼけっとしてそのままパンを食べ続けていると何故かいきなり客引き君が現れる。口説かれるのかな、と一瞬身を固くしたが、とりあえず、おはよう、と挨拶して、明日ピックアップでプノンペンに行くことにした、と伝える。
昨日から熱心に私に寄せてきた好意は、純粋な愛などでは決してなく、四ドルのコミッションのためだったのね、と思うと急に悲しくなり、私は黙ってしまう。そんな私を後目に客引き君は、じゃあまた、と言い日本人二人が待つ宿に戻っていった。 客引き君がいなくなると、私は、客引き君の打算に基づいた愛に直面し、傷ついた自分の心を少しでも癒すために、部屋に戻って本を読み始める。お手軽な現実逃避である。しかし、日本語の活字も私の腐りきった頭には問題なく浸透するわけもなく、すぐに寝てしまう。 起きたのは十五時。起きてしまうと寝る前の悲しさなどひとかけらも残っていず。気分が凄くいい。昨日あんなに引きつっていた背中もかなり回復してきている。眠りは時としてお手軽なリフレッシュの手段である、と思うが、あまり多用しすぎると自己嫌悪に陥る事がままある。もしかしたら、自慰行為のようなものなのかもしれない。 とりあえず部屋から出てレストランへ行き、朝と全く同じようにパン三〇〇リエルとミルクティー五〇〇リエルを注文し、食いながら日記を書く。同じものを食べているせいか、朝がもう一度やってきたような爽快な気分である。 そうこうしているうちに夕方になったので、一旦部屋に戻り荷物を整理する。バルコニーには若い日本人が二人いた。一人は昨日大麻を煙草に詰めていた方だった。 背の高いもう一人の方はやがてバイタクに乗って日没のアンコールを見に行ってしまい、しばらくその背の低い方の彼と二人でお話しする。彼は22歳。原発とか発電所の建設現場で四年間監督をしていたらしく、持っている資格が20以上あるらしい。凄い。 私も過去、発電所などの配管設計をしていたことがあるので、建設現場についての話で凄く弾む。彼は今回の旅行で日本に戻ってから現場監督としての仕事を辞めるか転職するか決めるらしい。明日、私が来たデコボコの道を通ってタイに向かうそうだ。 現場の職人さんってすごいね、と言うような結論に私たちの話がまとまり始めた頃、背の高い方がアンコールから帰ってきたので、川向こうの屋台に3人で食事に行く。 おかずは高菜スープ、豚肉の煮込み、トマトと豚の炒め物、牛の焼き肉。トマトの炒め物がうまくて一皿追加する。 トマトは偉大である。 武者小路実篤がトマトの色にこだわったのも、うなずけるような気がする。 3人とも二皿ずつごはんを食べ、食事代は全部で8000リエル。私は1米ドル払う。
「もうこれは純愛に生きるしかないでしょう」と私はその純愛買春青年に無責任な言葉を投げかける。
私はバンコクでプロのおねーちゃんたちに入れ込むオヤジどもを含めて、この青年のようにプロに愛を注いでしまう男があまり嫌いではない。彼らは前後見境無く純粋なだけでまったく罪はないからだ。ただ、終わった後うだうだ相手の悪口を言う男は嫌いだ。そういった悪口は聞いててあまり気持ちがよくない。 結局、その後3人揃って近くの店でかき氷(1000リエル)を食う間もずっと、純愛買春青年は悩み続けていた。私はその間、タイ語が話せるかき氷屋のお姉ちゃんの、国内の混乱で親を失った身の上を聞きながら、目の前で悩んでいる青年とこのかき氷屋のお姉ちゃんとどっちが大変か考えてみようとしたが、めんどくさいので考えるのをやめることにした。もともと比べることができないものを比べるのは意味がない割に労力を使うものである。
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この日使ったお金=約一九四円。