藝道日記。(平成 11/04/12)


注・通貨の日本円換算はすべて1バーツ3円、1ドル3800リエル=35バーツ=115円、1バーツ110リエルと言うのを基準にして下さい。正確ではないですが、最近はだいたいこんなモンです。

平成十一年四月十二日

この日の移動経路。

注)ハードディスクがクラッシュしたので、この日の画像データもありません。


 夥しい数の蚊に刺されて目が覚める。痒いことよりも刺されたことが寝起きでボーッとしているにもかかわらずものすごく悔しい。蚊帳を吊れば刺されずにすんだものを、本を読んでいたせいかなんとなく吊る気にはなれずにそのままうたた寝を繰り返して痒さで夜中に何度も目を覚ましたが、結局よく整理して考えてみれば、一番悔しいのは、足の裏を刺された事のようだった。悔しい思いを抱いたまま、足の裏を蚊に刺されると、凄く悔しい気がするのはなぜだろうと考えてみる。痒いせいもあるが、放っていたゴキブリが突然飛んだときのように、人間として小動物に隙を見せた自分の気合いが足りないと感じるからではないかという甚だ説得力のない結論に達する。

 ニワトリが鳴き始めたので、荷物をまとめて階下に降りる。宿代二ドルを払ってチェックアウト。じきに24歳の純愛買春青年も降りてきて、
「僕も今日スピードボートでプノンペンに戻ることにしました。またあっちで会いましょう。」
 と言う。おそらく彼にとってそれが一番いい選択なのだろう、と他人事ではあるが何となくそう思う。

 娼婦の上半身にキスするのが好きな宿のおにーちゃんが、バイクでピックアップの乗り場まで連れていってくれることになり、私はおとなしくバイクの後部座席に座った。案内されたピックアップに乗せられ、にーちゃんがバイクで走り去ると、私は運転手のおっちゃんに促されるまま後部座席に座った。私の席は運転席の真後ろだったが、シートのクッションが柔らかいのか固いのかよく判断が付かない中途半端なものだった。まだ出発しないようだったのでとりあえずサンドイッチ(1000Rs)を買って食う。

 結局1時間ほどたってピックアップは走り出したが、今何時なのかは腕時計を持っていないのでわからなかった。昨日蚊と戯れてエネルギーを使っていたせいか、すぐ眠ってしまう。しかしすぐにケツが痛くなって目が覚める。周りを見ると少し都会的な街並みになっていて、車は停まっている。もうプノンペンに着いたのかと思い、これもぐっすり眠れたお陰だと昨夜の蚊に少しだけ感謝したが、時間を聞くとまだ十三時半だった。そんなに早くプノンペンに着くはずはない。お昼の休憩のようだったので、とりあえず食事(1000Rs)を摂る。うまい。

 しばらく休憩して、再び車は走り出したが、ケツが痛くて眠れない。途中、何頭もの水牛や車を追い越して、著しく凹凸のある悪路を走る。シソフォンからシュムリアップへの道よりは幾分マシだが、走っている時間が長いためにケツの痛みはじわじわと増してくる。途中で何度か、隣に座っている婆さんが小降りのライチをくれるが、食っても痛い。

 何度か休憩をしてピックアップはようやくまともな舗装路に出た。

 小雨がイヤな予感とともに降り始める。予想通り小雨はすぐ豪雨に変わる。小雨が豪雨に変わったのは、舗装路に入ってすぐ、悪路で汚れた車体を洗った直後で、きれいになったばかりの車体はすぐにふりだしに戻る。

 揺れのない快適な道路を走り、プノンペンに着いたのは十八時頃。ピックアップ代の十ドルを払い、私はすぐにキャビトールゲストハウスにチェックインした。宿代は二ドル。そして、居るかどうかはわからないが、とりあえず居るかもしれない知人の常宿に顔を出してみる。知人はノートパソコンを持ってきているはずなので、デジカメの画像をフロッピーに保存させてもらおうと思ったからだ。私のデジカメは四十枚くらいしか撮影してないし、今回はパソコンを持って来ていない。

 知人はあっさりと捕まった。部屋に入れてもらい、ビールをごちそうになる。バンコクから船も使わず陸路で来た、と言うと知人はたいそう喜ぶ。しかしデジカメは電池が切れていたので、また明日あらためてパソコンを貸してもらうことにする。その後宿を出て、カンボディア鍋をごちそうになったあと、高級ディスコにまで連れてっていただく。ごちそうになりながら、いつの日かごちそう返しが出来るくらいのお金を稼げるようになりたいと少しだけ思う。

この日使ったお金、約一六七一円。

平成11年4月11日に戻る。平成11年4月13日に続く。


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