藝道日記。(平成 11/07/08)


平成十一年七月八日
 
 着いたのは午前五時でした。どこに着いたかとレック様に問うと、レック様はここはデッウドンだとおっしゃいます。私はてっきりウボンに着くものだとばかり思っていたのですが、よくよく説明を聞いたらウボンの中のデッウドンに近いところにレック様の田舎はあるらしく、さらによくよく考えてみるとウボンだろうがデッウドンだろうが、そんなことはどうでもよいような気がしたので私はバスを降りると売店でデジカメ用の単三電池を四本買いました。アルカリ電池はありませんでした。

朝のバスターミナル。

 
 

お待ちになるレック様。
肩に掛けているのが、
例のタオル。
 レック様は黙って待っていましたがバスターミナルに出迎えはありません。一応電話はしたようですが、それでもなかなか迎えは来なかったために私はレック様にモーチットで無理矢理鞄の中に押し込まれていた残る一枚のクレープを見つけて提示したところ、レック様は笑顔を見せながら、食いなさい、とおっしゃるので大人しく食いましたが、一晩経って鞄の中でくしゃくしゃになったクレープは何とも味わい深い味で、起き抜けの私の脳はその食感による衝撃でぐらんぐらんと揺れ始めるのでした。

 
 
 
 

一夜漬けクレープ。

お母様(左)と今回
出家する予定の弟様(右)。

 
 
 結局、三時間そこで過ごして午前八時頃、レック様のお母様と弟様達3人がいらっしゃいました。私もレック様も互いに嫁入り前の身、久しぶりに帰ってきた娘が生物学的におちんちんのついた外国人をひとり連れてきたとあっては、あらぬ誤解を招きかねないため、私はお母様に会うとすかさず、私は日本の藝人でタイ東北部の写真を取りに来ました、と正直に表明したのでした。

 
 レック様が、じゃああたしお母さんと買い物に行ってくるからあんた弟達と一緒に飯食ってて、と気軽におっしゃったので、私はターミナル脇の食堂に入り、弟様達と一緒に食事を摂ることになったのですが、一番上の弟様以外は、ナマの日本人を見るのが初めてらしく、私がエビみそ焼きめしを胃袋に蹴り込む様子を、うどんを食いながらおそるおそる見ていらっしゃいました。


うどんを食される弟様方三人。

エビ味噌入り焼き飯。

 

車内で語らう母子。
 じきにお母様とレック様が戻って来られて、私たち一行はバス乗り場に行きましたが、そこにあったのは、大きめの改造乗り合いトラックで、車の腹にはバーンゲーンと行き先が書いてありました。

 
 皆で車に乗り込んだのですが、しばらく発車しそうにもなかった為、私はターミナル横の雑貨屋でサンチップウィスキーの大瓶一九〇バーツを購入したところ、雑貨屋の婆さんは私のでたらめなタイ語の発音を聞き、
「お前どこから来たんだ」
 と訪ねられたので、
「日本でーす」
 と答えると婆さんはまるで妖怪を見るような表情を一瞬だけ作り、たいそう驚かれ、ナマの日本人を見るのは初めてだとおっしゃいました。

 私はトラックに戻り、レック様にウィスキーを渡すと、一番上の弟様に促されるままトラックの屋根に登りました。屋根には板が張ってあって、とても座りやすく快適でした。
 私はバンコクを出る前日に、日本から来たじゅん太様にいただいたバージニアスリムをひと箱、ひとり以外は明らかに未成年である弟様達に、
「昨日日本からきた友達にもらった」
 と言って渡すと、こんなのは村にはない、と言って驚かれましたが、それは至極当然で、ハージニアスリムはバンコクにも売ってません。弟様達は吸いながらしきりに、涼しい、涼しい、とおっしゃいます。どうやら、バージニアスリムはタイのメントールより遙かに涼しいようです。

 トラックの屋根は当然、止まるととても暑かったのですが、それ以外はおおむねとても涼しく、快適で、道は舗装されていたためそう揺れることもなく、怖くもなかったのですが、万一落ちたりすると困るので、多少緊張して乗っかっていると、車はじきにバンゲーンに着きました。

屋根の上。

 
 そして車から降り、村の入り口にある雑貨屋にご挨拶しました。レック様は雑貨屋のおば様や、そこにたむろしていたおば様達からしきりに、
「この日本人は恋人か?」
 と聞かれましたので、私たちは二人で強く否定しました。

 おば様達のつっこみにたわいもないボケを返していると、やがて一番年長の弟様が、どこからかトラクターに荷台を繋げたものを持っていらっしゃったので、私たちはそれに乗り込みました。


 

トラクターの荷台では、
日傘が必要らしいです。
 村に向かう道の両脇にはいっぱいに田圃がひろがっていて、レック様その景色を懐かしそうに見ながら、
「タイでこんな景色、見たことある?」
 と得意げに私に尋ねられました。私が、
「チェンラーイや、カンチャナブリで見たことがある」
 とあっさり答えると、レック様は少し表情を歪められ、しばらくの間トラクターの荷台に涼しい時間が流れました。

 
 おうちに着くと、レック様はお土産としてバスターミナルで購入されたらしいファンタのでかいペットボトルをお出しになり、サンチップの大瓶も出されました。近所から噂を聞いてレック様とナマの日本人を見に何人かの方が集まってこられ、ファンタとサンチップは見る見るうちに減ってゆきます。

再びお食事。

 
 私もサンチップをファンタで割って飲みながら、皆様にご挨拶していると、竹篭に入った餅米と、キノコスープ、あひるのラーブが運んでこられ、皆様と一緒に食事することになりました。日本人が手づかみで餅米を食う様子が、ナマの日本人を見たことがないイサーンの方々の背骨を折ったらしく、盛んにいろいろと突っ込んでこられるので私はたまにイサーン方言でボケながら、美味しく食事をいただきましたが、そのうちに、さっきターミナルで飯を食ったばかりだという事実に気づいて自分の胃の状態を懸念するのでした。
 老婆の厚化粧のように満腹の上に満腹を重ねてすっかり幸せな気分になり、バンコクで顔見知りだったレック様の親戚の女の子が産んだ子供を酔っぱらった腕で抱きながら、
「そーか、産んだかー、ほーら、パパだよー」
 とトラウマを刷り込んでいると、レック様が「寺に行くわよ」とおっしゃいますので、私は黙ってついてゆくことに相成りました。

 
 

トラウマアタックをかけられた
不幸なガキ(右下)とその母。

お寺の入り口。

 
 レック様はお寺に着くなり、和尚様にお布施の品を持っていかれて、そのまま談笑を始められ、私も一応和尚様に挨拶はしたものの、「あんたは弟達と遊んでなさい」と言われて、おとなしく、弟様達に連れていかれた先に若いお坊様がおり、そこでお坊様とお話しすることになりました。

 若いお坊様はとても賢そうな方で、少年僧の教科書を見せて下さりましたが、その古い文字遣いの泰語は非常に読みづらいものでした。楽しくお話ししていると、やがてレック様が来られて、
「あんた今夜このお寺で弟達と一緒に寝なさい、いいわね」
 とおっしゃったので、私はおとなしくいいつけに従おうと心を決めたのですが、一度おうちに戻ってみるとレック様は、
「あたしめんどくさくなったから、今日はここで寝なさい」
 とおっしゃいました。


 
 

お寺にたむろしている方々と、
少年僧。

お布施するレック様。

 
 
 別にどこで寝たって一向にかまわないので、私はシャワーを浴びて、ご飯を食べました。いんげんと豚肉の炒め物、餅米、小魚を煮たもの、春雨スープなどでしたが、小魚の泥臭さがたまらなく美味でありました。

 
 

仕込み途中の小魚。

夜ご飯。

 
 
 しばらく一族全員でテレビを見た後、早い時間に寝ることになりました。蚊帳を吊っていただきましたが、どこから入ってくるのか汗腺数の問題でタイ人より香りがいいと噂される日本人の生き血を求めて蚊は私の身体を夜通し刺し続けるのでした。

平成十一年七月七日平成十一年七月九日に続く。


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