先生は言葉で田中良夫(仮名)様に質問を投げかけ、そしてその回答について一緒に考える。脇でそれを見ているとソクラテスが弟子に産婆術を施しているようにも見えるし、女王様が豚男を言葉責めし辱めているようにも見える。
先生は泰国拳闘技術用語を使って練習問題をつくり、それを田中良夫(仮名)様に問い、解答を出させる。田中良夫(仮名)様は先生に問いつめられるとその問いが求めている視覚的イメージを頭の中で作らざるを得ない。
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その視覚的なイメージはひとつだが、その解答がひとつだと言うことはない。先生は様々な解答を一緒に考え、その解答に関する議論が丁寧になされてゆく。その度に最初の問いは二人の頭の中で円環的にリフレインされる。
フッサールの超越論的現象学の講義みたいだ、とあたくしは思った。こうして同じ事を何度も繰り返し問うことによってイメージが只の知識としてではなく映像として肉化せざるを得ない。良くワケが分からないまま頭を使って考えているうちにイメージが身体に身に付いてしまうのだ。
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