藝道日記。(平成 12/10/27)
平成十二年十月二十七日(金)。

   
 起きてカオニャオ(餅米)とガイトー(鶏唐揚)を買ってきて二人で朝食。今回は一三〇ポンド契約だが計量がないので田中良夫(仮名)様は試合当日でも普通に食事を摂っていた。首都のメジャースタジアムででもなければそうそう厳密な計量があることはない。

 この国ではメジャースタジアムの公式戦であっても、計量時に双方が了承すれば何キロかの体重差は大目に見られることがある。

 七時にジムに集合。ジムの会長が、自家用トラックの荷台に長椅子をつけたソンテウ、と言われる形式の車をチャーターしているようで、それに乗ってスラタニ県の港まで向かう。車の中には田中良夫(仮名)様の他に試合に出場する二人の少年ボクサーと、ひとりの青年ボクサーがいた。
 

  
 どうやら少年ボクサーの母親らしき人たちも一緒に来るらしく、またそのお母さん達が現地で食べるための米や水、電気炊飯器まで持ってきているので、ソンテウの座席は隙間無く埋まる。物価の高い観光地のビーチで過ごすには確かにこんな風に食料を準備してゆくのが賢い手段だと思う。

 そして、一時間以上ソンテウは走り、港に着いた。そして一同はフェリーに乗り込んだ。フェリーの名前は、おおすみ、という名前だった。おおすみの船内には予想通り島に向かう外国人バックパッカーでごったえしていた。

 二等船室には柔らかいソファ状の長椅子があったので田中良夫(仮名)様と二人、そこで爆睡する。起きて会長や少年ボクサー、電気炊飯器などがある場所に行くと、そこには食事した後の食器があった。どうやら寝ている間に昼食が終わったらしい。
  


   
 おおすみはやがて島に着いたが、所持金が無かったあたくしは銀行からお金をおろしたり、この島での接続環境を調べたりせねばならなかったため、ビーチに向かうソンテウに乗ったナコン遠征組の皆様を見送り、ひとりで港町ナトンタウンに残る。すぐに見つかった農民銀行で現金を引き出し、気が大きくなったあたくしはカメラのフィルムを買い、通りすがった市場でおかずを二品買う。

 港に接続させてくれるネット屋さんは見つからなかったが、とりあえずビーチに行くことにしてあたくしはソンテウ乗り場まで歩いた。そして観光客ズレした言い値を拒絶しながらぼったくりソンテウを何台かやり過ごして、とりあえず泰ネイチヴが多く乗っているソンテウに乗り込んだ。チャウエンビーチまでいくらですか? と隣に座っていたお姉さんに聞くとお姉さんは、たぶん三十バーツ、と答える。 

  
  周りの人にボクシングスタジアムの近くになったら教えて下さい、と告げておいたらひとりのお姉さんがあたしと一緒に降りなさい、というので一緒に降りた。降りて運転手に五十バーツ札を差し出すと、50 bahts Thank you.と当然のように言うので、何ですかそれは? 二十バーツお釣りを下さい、と主張する。運転手は渋々二十バーツお釣りをくれた。

 全く誰がこの島の人間をこういう風にしたのだ、とあたくしは呟くと、親切なお姉さんにスタジアムまでの道順を聞き、歩き始めた。ひたすら歩いた。

 スタジアムには着いたが、出場予定選手の控室がどこにあるのかよくわからない。とりあえずスタジアム前のオープン・ショットパーに人がいたので訊いてみる。訊いてみるとあのミニマートで聞けと言われ、そこまで歩いて行き、訊いてみる。するとミニマートの店主がひとりお兄ちゃんをつけてくれ、こいつに連れてって貰え、と言う。
  


   
 お兄ちゃんに途中まで連れてって貰うと、示された宿舎には部屋のまわりにたむろして飯を食っているナコン遠征組がいた。そしてあたくしはそこで初めて自分がナトンタウンで買ったおかずがことごとく豚ネタで、ナコン遠征組の皆様があたくしと田中良夫(仮名)様をのぞいてことごとく回教徒だと言うことに気づく。

 田中良夫(仮名)様はもうけっこう食べていらっしゃったので、あたくしが買ってきた豚ネタ二品にはほとんど手を着けない。結局ひとりで全部食う羽目になり、すすめられるがままに島外からお持ち込みの米を何杯も食っていると満腹になって全身血流が乱れはじめ、あたくしはあっさりと毀れた。

 しかしあたくしは既に自分の身体の感覚が麻痺しているのを自覚していたのであっさりと豚ネタ二品をクリアし、島外持ち込み現地調理の目玉焼きと魚のフライまで余さず自分の中に蹴り込んだ。なんとなく得意気な気持ちになった。
 

  
 とりあえずソンテウとフェリーおおすみでの移動で埃まみれになっていた身体を水で流そうとすると、会長さんがこれから夜までどうするんだ? と訊く。あたくしはその時、ああそうだチャウエンビーチにいる知り合いに会いに行かなければ、と言うことを思いだして、それを思い出すまま言葉にして会長さんに伝えた。あたくしは行動予定が行き当たりばったりになるほど確実に麻痺していたし、毀れていた。

 バイクに乗れるなら、一台使っていいバイクがあるから使え、と会長さんは言って下さった。とりあえずあたくしは水を浴び、田中良夫(仮名)様が身体を休めているマットの端にうつ伏せになり、データの整理をした。おそらくビーチにはサイバーカフェがあるから、可能ならば接続してサイトの更新やメルマガの配信などの作業をしておきたい。
 

 


   
  あたくしは横になって左肩をマッサージしている田中良夫(仮名)様を後目に部屋を出て、会長さんに鍵を借り、バイクを発進させた。とりあえず知り合いのいる場所は日本からメールで教えて貰っている。いきゃわかるだろう、と思った。

 これから会う知り合いは生米通りの旅行代理店で働いていた女性第二種の友人だった。性的に人造人間なので本郷猛子(仮名)さんと呼ばせていただく。大首都にいたときは、あたくしからどう考えてもジェンダーハラスメントであるディープな言葉責めをしょっちゅう受けていたのだが、何故かあたくしとは仲がいい。彼女は今年になって首都を離れ、このサムイ島で仕事をするようになった、と聞いていたのだ。

 とりあえず今回は田中良夫(仮名)様の試合を見るついでにサムイ島に足を踏み入れることとなり、しかも彼女は試合会場と同じビーチで働いているのだから会いに行かないのは失礼である、とあたくしは思ってメールで彼女の居場所を聞いておいたのだ。
 

  
 あたくしはメールから転記した情報を元に作製した地図を見ながらバイクを走らせてゆくが、しかし全然その説明はわかりにくく、説明通りに製作した地図を見ながら実際の場所と照合しても目指す店は全然見つからない。手掛かりが少ないのだ。ビーチの端まで行っても店はみつからない。

 うろうろと走っていると何度か街宣車とすれ違う。街宣車には、戦うボクサーの絵と、日の丸の横にTASAKIと書かれた文字が見えた。田中良夫(仮名)様のリングネームはカサイ(加西)である。おそらく今日他に日本人選手が出場するのだろう、とあたくしは思う。そう思いながら何度も転記したメモを見直してバイクを走らせるが相変わらず店は見つからなかった。

 現在本郷猛子(仮名)さんは按摩屋で働いているらしく、その按摩屋にいるらしいのだが、道にいるネイチヴの誰ひとりとしてその按摩屋の存在を知らない。何人も聞きまわってようやくあたくしは知っている屋台のお姉ちゃんを見つけし、それらしき場所を教えて貰う。お姉ちゃんの言うとおりに小道を奥に入ってゆくと、店はあっさりと見つかった。
  



顔面パーツ協力:大樹玉織様

   
 サングラスをかけたままバイクを店の前に停めると、ひとりだけで店の掃除をしている本郷猛子(仮名)さんがいた。とりあえず何も喋らずあたくしは店の前で何度かホーンを鳴らしてみた。本郷猛子(仮名)さんは一瞬、何じゃこのグラサンかけたボケは店の前でホーンなんか鳴らしやがって、と言う正直な表情を見せたが、すぐに目の前のグラサンライダーが知ってる日本国籍のバカだと言うことに気づいたのか表情を綻ばせて駆け寄ってくる。

 腕を拡げて駆け寄ってきたのでとりあえずハグする。彼女とは初めてハグしたが、人造人間のちちは人造らしくとても固かった。本郷猛子(仮名)に水を出してもらい水を飲みながらしばしお話し、とりあえず紛失していた彼女のメアドをゲットし、来た事情を説明し、記念に写真を撮る。今日は試合だから時間がないし、早く会長さんにバイクをかえさねばならない。明日の朝帰るんで又今度メールでね、と言ってあたくしは彼女と別れた。
 

  
 いやあいきなり行って容易に驚かすことが出来るなんて便利な世の中になったなあ素晴らしいなあインターネットとゆうものは、と思いながらそのままテンションが上がったままのあたくしは、あちこちのネットカフェに顔を出して、オラあ儂のノートブック繋ぐために市内通話スラタニまで電話掛けるから電話貸してくれ、と聞きまくるが立てつづけに四軒ほど断られる。

 ようやく見つけた店では、クールなお姉ちゃんが笑顔も見せず、コンセントの電気も使うんだから十分で二十バーツね、と言う。仕方がないので泣く泣くそこで繋ぐことにする。ナコンのネット屋なんか十分越えても五バーツだというのに、さすがにここはリゾート。ネット屋のねーちゃんでさえもがっちりしている。あたくしは心の中で、誰がここをこんな島にしたのだ、とひとりごちる。


   
  宿舎へ戻って会長さんにバイクを返し、部屋に行くと、田中良夫(仮名)様は横になって眼を閉じていたが、眠っているのか眠っていないのか解らなかった。しかしあたくしが戻ってきたのに気づくと、やがてゆっくりと身体を起こした。その時ドアの向こうに小さな身体が現れた。逆光に隠されて誰なのか顔はよくわからなったが、ドアの方から、あぅ゛〜、という音声が発せられた。先生だった。

 来ない、と言っていたにもかかわらず、どういう訳かひとりでこの島まで来た先生は、何の説明もなくとりあえずと言った感じでいつものように田中良夫(仮名)様と軽く泰国拳闘専門用語で詰め将棋をはじめた。あたくしはそれを小耳に挟みながら、不意打ちの登場といい、いきなりの詰め将棋といい、これはもしかして、徹底した洗脳のようなものかもしれないと思う。
 

  
 じきに先生は去り、田中良夫(仮名)様と二人で横になっていると、晩飯の時間になったとナコン遠征組の少年ボクサーが部屋に呼びに来る。あたりはもうすっかり暗い。そして、ここでもあたくしは誰よりも食った。

 が、もう毀れ具合に何の発展性もなく、これ以上蹴り込んで毀れる必要もないと思ったので、とりあえず程々で食事を切り上げてトイレで皿を洗った。それに早くこの部屋を出なければならない、とあたくしは思った。なぜなら応援に来た成人ボクサー夫婦がその部屋の中で軽く発情しはじめたからだった。いつまでもここにいてはならない。ふたりっきりにしてあげなければならない。


   
 部屋に戻るとあたくしよりはるか先に食い終わっていた田中良夫(仮名)様は、マットの上に横にはなっていたが眠ってはいないようだった。いつもなら耳にヘッドフォンを突っ込んで五輪真弓を聴いているのだが、今日この島にはヘッドフォンステレオを持ってきてはいなかった。

 じきに先生が迎えに来たので、三人で歩いて会場に入る。会場入口で田中良夫(仮名)様に、重量級の有名選手が来てますよ、と言われあたくしは田中良夫(仮名)様が示す方を見た。

 そこには確かに何年か前、東京で行われたヘヴィ級のトーナメントに出場し、一回戦で三十キロ以上重いフランス人キックボクサーと戦い、判定負けはしたけれども終始蹴りまくった有名選手が居た。あたくしはその試合のダイジェストをテレヴィで見たが、その時の彼はフランス人のパンチを巧く殺しながら、足や腕を蹴りまくっていた。おそらく蹴りのポイントを重視するこっちでやったら判定勝ちだろう、とあたくしはその時その試合を見てそう思った。
 

  
 昔、先生が教えたことあるみたいですよ、と田中良夫(仮名)様は言った。先生はあたくしたちが話している日本語の意味が分かったのか、あいつはもうダメだ、今は酒ばっかり飲んで昔の偉大なチャンピオンと戦った時の気持ちを忘れている、と本人に聞こえないくらいの声で言った。

 スタジアム関係者が田中良夫(仮名)様を呼びに来た。宣伝パレードに行くから来い、との事だった。パレード用の車の前には身体中にタトゥが入った重量級のヨーロピアン・ボクサーが立っていた。

 そう言えば、今日の対戦表にザクとかなんとかいう名前のヨーロピアンの名前が書いてあったなあ、とあたくしは思う。そう思った途端にそのヨーロピアンボクサーの身体がジオン軍のモビルスーツに見え始める。

 量産型のMS−06とシャア専用は、機体の色と頭の角以外性能的にどう違うのだろう? まだ毀れたままのあたくしが妄想に耽りはじめると、田中良夫(仮名)様とザク選手を荷台に乗せた車は街宣車と共にビーチに向かって走り去っていった。
  



前もって言っておきますが、写真の
写りが悪いのはあたくしのせいです。

   
 その場に残されたあたくしと先生は雑談をはじめた。TAKASHI、と言う日本人が出るのですか? と訊くと先生は、あれは加西の事だ。と言う。おそらく電話かなんかで名前を伝えたときに、こっちのプロモーターが聞き違えたのだろう。田中良夫(仮名)様は何年か前、突然三日前に日本人選手が肝炎にかかり、その代役として国際式ボクシングの試合に出場したことがある。

 その時のリングネームはヤマダ・ヒカリだった。おそらくよほど有名な選手でない限り、興行側にとっては日本人選手が出場する、と言うことが重要なのであり、その選手の名前などさして重要なことではないのだろう。そして、出場する選手にしてみれば名前はどうであれ、リングの上でいい仕事をすることが重要なのだと思う。

 雑談はいつのまにか先生のペースになる。先生は、(ジョン)、と言う単語を使って間合いについての理論とも哲学ともとれる深いお話をはじめた。、と言うのは辞書的には凝視する、とか見つめる、とかいう感じの意味なのだが、先生が言っているのは、攻めることも守ることも出来る、目配りの利いた間合いのことらしい。

 あたくしはまだ毀れていて、先生の言葉に頭をかき回されるのが苦痛だったので、どうやって突っ込みを入れたらいいか考えていた。顔を上げるとあたくしと先生の目の前にはショットバーがあり、そのとなりの屋台では、クレープ屋さんが鉄板の上でクレープを焼いていた。
 


英語ではTASAKI、
と書いてある。


ナコン遠征組初勝利。

   

泰語ではタチャーイ、
と書いてあった。
 
  
 あたくしはすかさず、要するに、、というのは美味いクレープを焼くことと同じなんですね、と言ってみる。先生は首を傾げて一瞬真顔になり、言葉を止めたのであたくしは、火加減とか、バナナを入れるタイミングとか、バターの量とか、それぞれに目配りを利かせていないと、美味しいクレープは焼けない、って事なんでしょ? と言った。

 先生は、すぐに、あぅ゛〜、と言う声をあげ、あたくしの肩を叩き、お前はよくわかっている、とおっしゃいました。しかしその時のあたくしは自分が何を喋っているのかよくわかりませんでした。

 パレード車と街宣車はじきに戻ってきて、第一試合が始まりましたが、あたくしはまだ毀れたままでした。第一試合でナコン遠征組の少年ボクサーが勝利すると、あたくしはこのままではいけない、と思いながらスタジアムの外に出てミニマートの店内に入りました。

 そしてそこで缶入りの牛乳を買いました。二十バーツでした。何故そんなものを買っているのか買いながらも自分で自分がよくわかりませんでした。そして買ったあとにあたくしはそれが牛乳ではなく、練乳だと言うことに気づきました。

 とにかく自分でもわけが分からないまま店を出ると、店脇に停めていた街宣車を写真に収めなければ、という気持ちがあたくしの中に生じました。そして、街宣車に向かって歩く途中、ひとりの少女と目が合いました。

 彼女はあたくしが街宣車に向かってカメラを構えるとその前に立とうとします。せっかくなので、写真に入ってくれる? と聞くと、彼女はいきなり服を脱ぎ、裸体をカメラの前に曝しました。
  



あたくしはこれを撮影したかっただけなのです。

   
 彼女は人造少女でした。その明らかに二十歳前の若いゲイ少年は写真撮影が終わるとすぐにあたくしに身を寄せてきて、挨拶もなくあたくしの股間に手を伸ばし、ねえ今夜一緒に眠らない? と耳元で囁きます。

 彼女はあたくしに名前を聞きます。あたくしは(ヒンカーゥ)と泰語圏公式藝名を告げました。しかし、彼女は再度あたくしの耳に口を近づけ無声音を混ぜた色っぽい声で、チンコー、とおっしゃいました。おそらくそれはあたくしの名前なのだと思います。あたくしはあたくしの藝名を泰語でちゃんと発音できないので良く聞き違いされるのです。チンコーチンコーチンコーチンコーと耳元で何度も呼ばれると、あたくしはもうどうでもいいような気持ちになりかけておりました。
 

  
 しかし、あたくしは毀れてはいたけれども、田中良夫(仮名)様の試合のことは忘れてはいなかったので、彼女のお誘いを丁重にお断りしました。そして写真はちゃんと送るから、といい、彼女のメアドを紙に書いて貰って別れました。

 スタジアムに向かう坂道を登りながら、あたくしは自分に対する行き場も理由もない怒りが何故かこみ上げてきて、心の中で、誰がこの島をこんな風にしたんだ、と呟かずにはおれませんでした。


   
 スタジアムに戻ると、田中良夫(仮名)様は身体にオイルを塗られて、客席の裏でちょこちょこと身体を動かしていました。なんとなくあたくしはまだゲイ少年に弄ばれかけた被害者意識のようなものがまだ残ってました。

 あたくしは気分を変えるために、お客さんいっぱい入ってますよ兄さん藝人として有り難いことですなあ、などとひねりも何もない言葉を田中良夫(仮名)様に投げかけてみました。

 なんかここのスタジアム、南部で年間収益一番らしいですよ、と田中良夫(仮名)様はホケもなく素のままお答えになります。よくよく考えてみれば窓口で外国人が買って入場しているチケットは五〇〇バーツで売られているようでした。この国では高級米が二十五キロは買える金額です。よくよく場内を見てみるとどこのスタジアムでも見られる証券取引場状態のオヤジどもが隅に追いやられてちっちゃく固まっています。
   

  


   
 なんかこんだけ勝負師のオヤジどもが少ないと、ノリが違うでしょ、あたくしがそう訊くと、田中良夫(仮名)様、まあ、そう言えばそうですね、とお答えになりました。しかしよくよく考えてみればそのあたくしの質問は、北は東京から南はニュージーランドまでありとあらゆるノリのリングで実に五十戦以上の戦歴を持つ田中良夫(仮名)様に対しては愚問でしかありません。

 試合が近づき、田中良夫(仮名)様はガウンを纏い、会長さんにモンコンをつけて貰いました。とりあえずあたくしは、どうですか七ヶ月ぶりの試合は、と聞いてみました。スタジアムに入るときに会長さんがあたくしのことを興行側に記者、という風に説明していたので、記者として記者らしいことを聞いた方がいいかな、と思ったからでした。
 

  
 田中良夫(仮名)様は、モンコンがきついです、と一言だけおっしゃいました。あたくしは、なんか玄奘三蔵にお仕置きされている孫悟空みたいな気分でしょ? と突っ込みを入れてみました。その突っ込みがしょうもないことはわかっていましたが、なんか喋り続けていないとあたくしは試合が始まっても毀れたままで記者として試合に集中することが出来ないような気がしたのです。

 しばらくの間をおいて田中良夫(仮名)様はいきなり吹き出されました。どうしたんですか? とあたくしが聞くと彼は、いや、むかし深夜番組で、吉本興業の三流芸人達が出てる番組があったんですけど、その番組のオープニングで誰かが股間に棒当てて、伸びろ、肉棒、って言ってたの思い出したんですよ。三流藝人やから番組自体はそんなに面白くないんですけど、そこだけなんか面白くて、と田中良夫(仮名)様は笑いながら言いました。そして、笑っていると前の試合が終わりました。
  


   
 田中良夫(仮名)様はおそらくまだその三流藝人のことを思い出しているのでしょう。笑いをこらえた表情のままリングに向かって歩いていきました。あたくしはメモとカメラを持ってニュートラルコーナーの下に移動しました。
 
 

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JAかさいしぶどう部会↑   
 
  
仏歴二五四三年十月二七日
サムイ島チャウエンスタジアム 第五試合目(130P)
   

 1

 試合開始数秒後、相手が何気なく放った右ハイキックが首筋にヒットする。田中良夫(仮名)、尻餅をつきダウン。カウント8で立ち上がるが、相手はすぐ右のパンチで畳みかけてくる。

  
開始早々いきなり危険な局面。田中良夫(仮名)はしっかり左腕で相手の右をガードし、追撃打を貰わない。そして攻撃を凌ぎながら右ローキックを綺麗に相手の脚にヒットさせ、良く見て追撃を凌ぎ、組みついて膝蹴りを出す。試合が組んでの展開になりかけてきたところで第一ラウンド終了。

2

 更に積極的に前に出てくる相手に対し、田中良夫(仮名)は離れた位置からカウンターの左膝蹴り(テンカオ)を出し、相手の腹部にヒットさせる。すぐに組んでの展開になるが、田中良夫(仮名)は冷静に膝蹴りを出して対応し、相手のバランスを崩して倒す。

  
 相手は更に蹴ってくるが田中良夫(仮名)様はまた冷静に蹴りを捌いて組み相手を倒す。相手は立ち上がると前に出てくるがまたすぐ組み合いになるが、しかし田中良夫(仮名)に組まれ倒される。ラウンド通じて首相撲で相手を倒しまくり、田中良夫(仮名)、完全にこの回優位。
3

 ラウンド開始直後、相手がいきなり左を蹴ってくると、田中良夫(仮名)は足を払われてバランスを崩し倒れた。更に相手が打ってきたパンチを一発貰うが、すぐに組んで倒す。相手は懲りずに遠間から右のパンチを振り回してくるが、田中良夫(仮名)は冷静にカウンターで左テンカオを当てる。しかし当てたあと組み際に右肘を貰い、多少ふらつく。田中良夫(仮名)も相手同様離れた間合いから右のパンチを出し当てる。これが少し効いたのか、相手の動きが少し止まった。
 

 
 田中良夫(仮名)、すぐに相手に組み付いて倒す。そして立ち上がった相手を更に組み倒す。しかしテンカオを蹴ったところを組まれて逆に倒される。試合が伯仲してきたからか、歓声が次第に大きくなり始めた。

 ここで相手の股間に装着しているファールカップが外れる。装着し直す間、田中良夫(仮名)はニュートラルコーナーで待つが、リング下から会長と先生が、刺せ刺せ刺せ刺せとテンカオで相手を突き放すよう指示を送る。

 試合再開後、田中良夫(仮名)は指示通りにすぐテンカオを当て、組んで膝蹴り。そして倒したところでゴング。完全に田中良夫(仮名)のラウンド。
  


4

 田中良夫(仮名)、いきなり出した右の蹴りが当たるが、蹴り足を取られて殴られる。一瞬、試合の流れが向こうに傾きかけるが、すぐに組んで倒し、立ち上がった相手に対し更に組みつき、膝蹴りを入れまくり試合の流れを押し戻す。膝蹴りが何発かまともに腹部に入り、相手の動きが大分鈍くなってきた。
 

 
 相手を投げ倒したあと、相手の右パンチをよけて組みつき右肘を振るとこれもクリーンヒット。そして相手が打ち返してきた右肘に右のテンカオを合わせる。これがカウンターでまともに当たり、相手の身体が微かに折れ曲がった。動きの鈍った相手が更に出てくるところに左テンカオを出すと、これもまともに腹部に入り、相手はダウン。立ち上がって来れずに試合終了。 

 


  

4RKO、左膝蹴り(テンカオ)
田中良夫(仮名)は一ラウンド右ハイキックでダウン。
  
  

   
 結局、ナコンからの遠征組は全勝だった。フランス人のザクは派手にスタジアムを湧かせたが肉体以外は凄く老けている白髪のタイ人に判定負け。興業が終わってとりあえず部屋に戻り田中良夫(仮名)様が水を浴びていると先生が入ってきた。
 
  
 そして田中良夫(仮名)様が水浴びを終えると休む間もなく反省会が始まる。先生は今日の試合を流れ的に解説され、そしてその流れとこれからの課題を紙に書きながら話されていた。凄くありがたい話ではあったが、あたくしは眠かったので寝てしまった。


反省会資料


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