藝道日記。(平成 11/04/17)
注・
通貨の日本円換算はすべて1バーツ3円、1ドル3800リエル=35バーツ=115円、1バーツ110リエルと言うのを基準にして下さい。正確ではないですが、最近はだいたいこんなモンです。
平成十一年四月十七日

今日居た場所。

注)ハードディスクがクラッシュしたので、この日の画像データもありません。


 午前三時か四時頃に目が覚め、下痢する。全裸のままゆっくり時間をかけて下痢しながらシャワーを浴びてまた下痢してシャワーを浴びる、を何度か繰り返すうちに頭がクリアになりはじめる。六時くらいにチェックアウトし、カフェに行く。しかし下痢は止まらない。細菌性のもののようだ。

 久しぶりにその細菌性の下痢が導く食うたびに即、腹に時限爆弾を抱え込んだような感覚を冷や汗かきながらも半分楽しんでいると、先日、ここは何が楽しいんですかね、と聞いてきたオヤジが話しかけてきて、細菌性下痢に効く現地の薬を分けてくれた。この種の薬は例外なく飲むとすぐ治る。
 


宿代領収書。


 オヤジの表情からは先日のような迷いの表情が消えていて、朝から元気爽快オーラを周囲にバリバリと蒔き散らしている。私は水五〇〇リエルとパン三〇〇リエル注文する。食っても飲んでも既に腹は何ともない。「今日バンコクに向けて出発するんですよ」とその、薬をくれた超爽快オヤジに伝える。「ええー、もう行くんですかあ」とオヤジは先日までの不安そうな表情はどこ吹く風、こんな楽しいとこにあんた長期滞在しないなんて超信じられなーい、と表情全体で語ってみせる。

 私はその表情を見て、どうやら十分プノンペンを楽しんでおられるようで、それは何より、と思い、立ち上がってオヤジに礼を言って背を向け、セントラルマーケットまで乗っけて行ってくれるらしいキャピトールグループの車に乗り込んだ。
 


 セントラルマーケットのすぐ脇にバスの待合所があった。ボケッとしていると、何となくバスが待合所に横付けになる。まさかと思ったが、エアコンバスである。一瞬、我が目を疑った。タイ国境からケツがずれ外れ落ちるくらいの悪環境で車の移動をのり切って来た私にとって、バスのシートは柔らかく、東日本新人王戦ヤングファイト全四回戦興行を後楽園ホールに見に行ったら世界タイトルマッチが見れたくらい予想外の喜びである。

 しかし、そこはそれ、きっとこのあとすぐに舗装路が無くなってまた何日か前のような存在自体に根拠がない地面のくぼみが、振動となって押し寄せ私のケツにアタックをかけて来るのだろうと思って気を抜かずにいたら、そのうちに食事休憩になる。とりあえず並んでいた鍋から適当にご飯にかけてもらって食う。二〇〇〇リエル。
 



 カップケーキ三個入り一五〇〇リエルも買ってバスの中で食っててもいっこうに悪路は出てこない。もしかしたら私は舗装されている快適な道路での移動に飽き始めていて潜在的に悪路を求めているのではないかとさえ思える。する事がなくなりしょうがないのでバッテリーがもう全然ないデジカメで道脇の写真を撮る。電池がもう無く、全然自由に景色が撮れないのでずっと外を見続けていると、やがて景色の一部として流れてゆく家の構造が気になり始めた。

 窓の外に見える家々はバナナの葉とか茅葺きの屋根に混じって金属製のトタンの屋根が点在している。私は以前バイト先で、ベトナムの会社がトタン製造機を欲しがっているから、高く売れるぞへへへへ、とそこの社長が言っていたのを思い出した。それをきっかけにぐるぐると色々なことを考えながら、家の屋根をトタンにしたいがために娘に客を取らせる父親ってのも、世の中にはいるのだろうな、と思う。どうしてバナナの葉や茅葺きがだめで、みなさんトタンを欲しがるのだろうか、あんなの雨が降ると五月蠅いだけだぞ。
 


 十一時四十四分頃コンポンソムに到着。二〇〇〇リエルでバイタクと交渉して港へ。港は結構遠い。港に到着して降りるときにバイタクの兄ちゃんが、port、と言う英単語を良く理解してなかったことが判明。とても二〇〇〇リエルでこんな距離シャレになんない一ドル出せ、と言うので無視して黙って二〇〇〇リエル札を差し出す。

 私も確かにシャレになんない距離だとは思うが、今日初めてここに来た私は港までそんなに距離があることを知らなかったのだ。私に非はない、と思う。怒りにふるえた表情で、そんなものいらねえよ、と彼は私の手から札をたたき落としてバイクを発車させ、ブルルルルと音させて去っていった。何か厭な気分になったが、かといってハイそうですかと一ドル出すわけには行かない。ここは私の美意識の問題である。譲れない。



 でも、彼の運転は素晴らしいもので、後ろに乗ってて凄く快適だった。カンボディア国内でもトップクラスの乗り心地だ。結果的にタダで乗せて貰ったことになったが、もし機会があれば次は最初にちゃんと4ドルくらいで半日借り切ってコンポンソムを案内して貰いたいくらいの素晴らしい運転だった。

 船のチケットは700バーツ。泰バーツで払う。正月料金なので少し高いということだった。船に乗り込み客室に入るとと、真っ先に見覚えのある顔が視界に入ってきた。近づいて思わず、あらあら、と言うと、良く間に合いましたね今朝出てきたんでしょ? と純愛買春青年は言う。あれほど心傾け悩んでいたベトナム娘と、昨日別れてきたとは思えないほど爽やかな表情だった。
 


 おそらく旅とはそういう風に、一時の感情の起伏や、爽やかな忘却を許容してくれるものなのだろう。と思いながら私は彼の隣で、真正面に添え付けられたテレビから流れるクメール語の正月番組らしいバラエティを見ていた。当然、その動きのない二人のタレントの会話を聞いて笑っているのはクメール人だけで、私にはどこが面白いのかさっぱりわからない。

 じきに出発した船は、あくまで陸が見える距離を保ちつつ、西の方に進んで行った。一度コン島に着き、パスポートチェックを受け、小さな船に乗り換える。船賃30バーツ。乗客は私と純愛買春青年、スキンヘッドのフランス国籍男性の三人。16時に国境に着く。着いた途端に右手脇、カンボディア側にあるどでかいホテルが目に入る。あ、あれっすよカジノがある国境のホテルって、三人でイミグレーションに向って歩きながら青年が言う。カジノ、という言葉に反応してフランス国籍のスキンヘッドが大きく頷く。
 



 出入国手続きをあっさりと済ませ、泰入国完了。すかさず屋台で焼きタコを買う。網の上で踊りながら丸まっていく一口大のタコは私の心を捕らえて離さなかった。一匹10バーツ。久しぶりに食うタコの食感を口の中いっぱいに感じながら私たちは三人でピックアップトラックに乗り込む。私も含めて三人とも手持ちのバーツが乏しく、両替をしたかったのだが、時間はもう17時をとっくに過ぎており、国境の両替商は誰もいない。何人か換えてくれるひとを捜したが、誰も私たちが持っているドルには興味がないようだった。

 ハードレックからクロンヤイまで20バーツ。その後バンコク行きのバスが出ているトラートまでピックアップを乗り換えて35パーツ。18時44分にトラート到着。当然銀行はどこも閉まっていて、すぐに両替商を捜すが当然のようにない。旅行代理店でバンコク行きのバスチケットを買うがバーツがないので、バス代169バーツの内、100バーツ分を3ドルで払う。
 


 流石に三人とも腹が減っている。私は一応ハードレックでタコを一匹食ったが、フレンチスキンヘッドも純愛買春青年もコンポンソムの港で船に乗り込んでから何も食ってない。二人を近くの市場らしき場所に誘導し、カオマンガイ20バーツを食う。スキンヘッドは丁寧に値段を確認してからカオマンガイ20バーツを注文し、席に座り、注意深くスプーンとフォークを手にとって口に運ぶ。何となく緊張していた彼の表情が、鶏肉とご飯が胃に落ちると次第に和らいでゆく。

 何やってんの? 仕事は? 私は流れでスキンヘッドに聞く。プログラマー、パリで。そう短く彼は答えた。使用言語は? 私が質問を続けると、C言語、と即座に彼は答える。カオマンガイを口の中に蹴り込みながら、私は彼に質問を続け、彼はポツリポツリと私の質問に答えてゆく。スプーンを持つ手が進むにつれて、彼の言葉がやわらかになってゆく。



 彼はUNIX上でCを使って飛行機をコントロールするプログラムを書いていて、今回は一年の休暇を貰って旅行しているとの事。一年? いいなあ、私が反射的にそう答え、隣にいる純愛買春青年に日本語で彼の身の上を説明していると、スキンヘッドは私の説明が終わるのを待って、皿に残っていた最後のキュウリを口に入れ、でも、フランス人の誰もがそんなに長い休みが貰えるわけではないんだ、と言った。

 20時前に旅行代理店前に戻る。スキンヘッドは店の中に入り、手紙を書き始める、もちろんC言語ではなくフランス語で。純愛買春青年は、あの隣の写真屋バスが出る時間までに写真焼いてくれませんかね、と私に聞く。どうやら私に写真屋で聞いて欲しいらしい。青年が私のタイ語を当てにしているのに気づいて、私はこの国に戻ってきて初めて、自分がスキンヘッドや純愛買春青年より言語的に優位であることに気づく。
 


 純愛買春青年にそう言われたその瞬間、この国の入国カードに泰文字で書き込み、いつものように係官に褒められて、タコを買って食った前後から、自分の中に顕現したある種の安心感の正体が初めて明らかになった。生活拠点とは異なる言語や生活様式から離れることを旅だというのなら、私の旅はもう既に終わっている。今回の私の旅行はある意味アランヤを出て、ハードレックに着くまでなのだ。

 写真屋は快く現像を引き受け、写真はものの一時間で焼き終わった。できあがった写真を見て、写真屋の娘が、どこの写真? と青年じゃなく私にタイ語で聞く。カンボディア、と答えると写真に写っているベトナム人娼婦より明らかに若い娘は含みのある笑顔を見せ、写真を袋に入れる。なかなか見せたがらない青年からほとんど無理矢理にできあがった写真を奪い取ると言った感じで、何枚か見せて貰う。ほらあ、日本人みたいでしょ、まだ二十歳なんですよ。と彼が娘の写真を自慢するオヤジのように嬉しそうに説明する。
 



 その説明をほほえましく思って聞きながら、私は日本人みたいだからどうしたというんだろうもし自分がその青年の立場だったら日本人みたいだだったら嬉しいだろうか仮に日本人みたいじゃなかったらどうだろうかそもそも日本人みたいってどんな感じなんだと、いつものように考えはじめるが、考え出すとキリがなさそうだったので、青年のように選択基準を問われるような状況になった際、私はきっとちんちんに正直に行動するだろうな、という究極の結論をとりあえず導き出して考えることをやめた。
  

 23時30分バスに乗り込む。全席指定。スキンヘッドプログラマーの隣。最前列左側なので脚が伸ばせない。隣を見ると足が長いフランス人は私より遙かに苦しそうだ。バスの暗がりの中でもはっきりとわかる彼の、シャツの汚れを見ながら私は、疲れてんだろうな、と思うがふと自分の胸元を見てみると、私のシャツの方が彼のより遙かに汚れていた。走り出してすぐに眠る。

この日使ったお金、約三三一一円。
 
平成十一年四月十六日に戻る。
平成十一年四月十八日に続く。
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